欧州(イギリス・スイス)の風景から八ヶ岳を考える
1.“コッツウォルド” イギリス人の心のふるさと、古きよき田舎の原風景
イギリスの中(南)部、オックスフォ−ド(ロンドンから車で約1時間)とバ−スとに 囲まれた約160Kmにわたる丘陵地帯をコッツウォルド(Cotswold Hills)と呼びます。 この丘陵地帯に点在する村々は、16世紀から18世紀にかけての家並みをそのまま残し ており、まさにイギリス人のこころのふるさと:古きよき田舎の原風景を、いつでも 見ることができます。 幸いなことに、私たちの住まいからこのコッツウォルド地方の入り口までは、車で 約25分の距離にありました。このため、ほとんど毎週末、これらの村々と各地に散在 するガーデンやマナーハウス(主にナショナルトラストが運営)を訪ね歩いていまし た。 イギリスを日本と同じ狭い島国と思ったら大間違い、郊外に行くと、見渡すばかり の平野や緩やかな丘陵地帯に、延々と牧場や畑が続きます。地位線のかなたまで村落 が見えないことなど、ごく普通です。日本では北海道でしか見られない光景です。そ うしたのどかなコッツウォルドの丘陵地帯に、数十軒〜数百軒規模の集落が点在しま す。 これらの村に一歩足を踏み入れと、まるで中世の田舎町にいるような錯覚を覚えま す。この地方では軽くて加工しやすい石灰岩がとれたため、これらをレンガのように 積み上げて家を造っています。家の壁は、このやや白っぽい石でできており、300〜 500年たった現在でも、色あせずに趣のある外観をそのまま残しています。人々は、 これらを大事にメンテナンスしながら住んでいます。コッツウォルドでは、現在でも この建築構造を頑固に守っており、新築の家でも、同様な石壁の仕様とし、それを誇 りにしています。自然素材を使う関係上、イギリスで一般的な赤レンガ仕様より高く つきますが、自分たちの誇り高き家並みの風景を保全するという姿勢が徹底していま す。 コッツウォルドの村々は、日本の白川郷や飛騨高山のように「点」としての景観保 存地区ではありません。全長160km以上にもおよぶ地帯、そこにある全ての村々で、 一貫してイギリス人の心のふるさと、古きよき田舎の原風景を守っています。 これらの村々は、週末になると見物客で賑わいます。村のメイン通りのしゃれたみ やげ物や骨董品屋、16〜17世紀の建物をそのまま使用しているホテル、地元のウール 品を売るお店等いずれも活気があり、商売繁盛しています。集落のはずれでは、新規 に住宅地が開発されている事例もありますが、前述のとおり地域景観に調和するよう、 全て石造りの家で、不動産物件も田舎にありながらなかなかいい値段がついているよ うです。これらは、自分たちの景観が生み出す経済的価値を、十分に享受している証 拠です。
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2.イギリスにおける建築物のライフサイクル(寿命)と景観の価値
イギリスでは、50〜100年の家では古いと言いません。前述のコッツウォルドのよ うに400年以上前の家も十分現役であり、100〜数百年前の家はごく普通です。 構造のしっかりした家ならば古いほど価値があるといっても過言ではありません。 <現存する住居建築のスタイル> エリザベス朝(1558−1603)様式 ジョージ王朝様式(1714−1830)様式 ビクトリア朝様式(1837−1901)様式 すなわち、家や建物を購入または新築する場合は、100〜数百年使える固定資産を 購入することになるわけで、それだけ強い思い入れがあります。 一方、現在の日本の場合、通常は木造の家で1−2世代(30-50年)使用するのが普通 ではないでしょうか。どちらが良いとは一概に言えませんが、少なくとも次のことは 断言できます。 ・日本の家は20年も住めば市場価値がなくなる。 ・イギリスの家は古いものでも、十分高価で販売できる。 ・現在の日本では、「自分の代だけ良ければ」という短期的視点で家を建てる。 したがって、特別な規範でもないと、歴史や風土・景観無視の家が乱立する。 ・イギリスでは、数百年景観に調和するであろう建物が価値あるため、そうした家 を好んで建てることになる。 イギリスでは、地域の景観は長期にわたる資産=文化的・経済的価値であるため、 住民はそれを守る意識が徹底しています。景観が乱れた地域、代表的なものは落書き と犯罪の多い都市の特定部であり、それは即、地域にある家のまともな買い手がなく なることを意味します。
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3.“ナショナルトラスト”
世界で最も成功した市民による自然・文化遺産保護活動(イギリスのNGO)
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19世紀末、産業革命による自然環境や歴史的建造物の破壊を防ぐため、弁護士のロ バート・ハンター、社会改良運動家のオクタビア・ヒル女史、そしてハードウィック ローンズリー牧師の三人によって環境保護団体「英国ザ・ナショナル・トラスト」が 設立されました。1999年現在、同団体は24万8000ヘクタールの土地を所有し、これは 民間としては英国最大の土地所有団体となります。さらに165ヵ所の歴史的建造物、 19ヵ所の城、909qの美しい海岸線、183ヵ所の庭園も所有しています。 |
イギリスで長期にわたり、名所旧跡やガーデンを訪れたいのなら、ナショナルトラ ストの会員になるのが一番です。私たちもそれに入会しました。夫婦で年会費約60ポ ンド(1万2千円)払えば、イギリス中の同会が管理する手入れの行き届いた名所旧跡 を、入場無料(一般は入場料五百円〜千円)で見学することができます。ナショナル トラストは、地方に残る古い建物・庭園や自然を見つけ出し、それらを買取り、また は所有者から依託を受け、修復し、一般に公開して、保全と観光を両立させます。又、 古い建物・庭園ばかりでなく、数キロ〜十数キロにも及ぶ自然散策路(もちろん無料) がそっくりナショナルトラストの管理という例も多くあります。 一方、収益事業として、レストランやお店(ナショナルトラスト・ショップ)を経営 しており、歴史や風土を感じさせるみやげ物やアウトドア用品を販売しています。そ れらナショナルトラスト・グッズには、上記のロゴ(オークの枝葉をデザインしたもの) が入っており、一つの有名ブランドとなっています。又、各種旅行パックの取り扱い もしています。このように経済的な基盤を強化することに対し大いに積極的ですが、 それはあくまで、自然や文化的遺産の保全と、一般への開放という大目的のためです。 利用者側会員から見たナショナルトラストの魅力 ・高い魅力、全国に多くの名所旧跡、 ・非常に親切で顧客重視のサービス ・文化的価値原理による運営、 ・おいしい食事とみやげ物(ナショナルトラスト・グッズ) ・情報公開、競争原理
4.スイスの風景とその思想
2003年5月下旬(イギリス在住時)、長期休暇をとってスイスに行きました。イギリス では見られない山岳風景、特にアルプスを見たかったからです。ジュネーブの空港か ら、電車に乗り、アイガー(険しい北壁で有名)のふもとの街まで、ほぼスイスの半分 近くを横断して風景を楽しみました。 スイスはイギリスとは反対で、平野が少なく、平らなところは狭い盆地と湖がほと んどです。従って、そこでの暮らしや風土は、私たちと共通点が多くあります。家は 日本と同様に木造が多く、又、多くの家で家庭菜園を所有しており、小さい畑を小奇 麗に手入れして、多くの野菜やハーブを栽培していました。イギリスでは、機械化さ れた大規模農業しか見ることができませんので、日本のだんだん畑に近いスイスの手 作りの畑に思わずなつかしさがこみ上げました。スイスでは、こくのあるおいしいチ ーズがありますが、それはまるで「チーズのお漬物」といった独特の舌ざわりと香り があり、山間部の牧場ならではの名物です。 日本と同じく、この狭い国土(平野)が勤勉できめ細かい国民性を育てあげ、現在ス イスは一人当たりの国民所得では、世界一(為替が強いことも原因)です。 しかし、日本と大きく違う点があります。それはスイスでは、景観を非常に大切に しているということです。観光が重要な産業のひとつであることも、関係ありますが、 何よりも彼らが、変化にとんだ自然豊かな国土と風景を愛し、それらを貴重な資源と とらえ、保全していこうとする姿勢が一貫しています。 電車の窓から、見える民家とその小さな裏庭は、どれも小奇麗でかつたくさんの花 を飾り、目を楽しませてくれました。それらは、あきらかに、電車の乗客や通行人に 見て楽しんでもらうことを意識したものでした。かれらは、家や建築物を建てる場合、 それが、景観にふさわしいものかどうかの、厳しいアセスメント(主に地域の委員会 が行う)を受けなければならないとのことでした。
5.結論: 八ヶ岳・南アルプス周辺の景観を考える
結論を言います。 イギリスやスイスでは、地域の景観は長期にわたる資産=文化的・経済的価値であ るため、住民はそれを守る意識が徹底しており、又、行政も十分にそれを支えていま した。 このことから、私たちの地域について考えるならば、もし、八ヶ岳や南アルプス周 辺を、息の長い、付加価値の高いリゾート地・文化的地域として発展させていくため には、現在の無秩序な景観破壊をストップさせなければいけません。しっかりした景 観意識に基づく、コンセプトの明確な秩序ある景観づくりが、是非必要と考えます。 コッツウォルドやスイスのように、一度だけではなく、又行きたいと思わせる魅力あ るリゾート地づくりこそが、長期的な価値を生み出します。 今、私たちには、次の5つの取組みが必要と考えます。 1)景観価値の再認識、 2)地域の明確な景観コンセプトとブランドづくり 3)ゾーニングと景観規制の強化 4)住民の景観意識の醸成 5)良い景観を育て、悪い景観を改善する具体的行動 ゾーニングも画一的な「線引き」ではなく、保全し強化すべき重点景観資源・ゾー ン特性を明確にした、地域の特徴を生かす対策が必要と考えます。次に、その一例を 示します。(現状の線引きや規制を把握していません。念のため) 1 山岳ゾーン : 登山 登山者は観光客の中で絶対数は少ないが、オピニオンリーダーであり、彼らに当地 の高い文化レベル(配慮ある登山のサポート)と豊かな自然を示すことが、ブランド 強化のまず第一歩です。 2 森林と泉ゾーン :水源涵養林・広葉樹の森・エコツアー 富士吉田周辺では樹海のエコツアーが繁盛しているとのことです。 登山ほどではなくても、深い自然なかに身を置きたいという潜在ニーズは多くある はずです。 3 リゾート・文化地ゾーン:自然豊かな長期滞在型の地 安易な宅地分譲や、森林伐採をさせない。できれば一戸1000平米以上の敷地、建物 は、景観コンセプトにふさわしいものしか許可しない。(基準に合致した)ミュー ジアム・工房・ライブハウス等に各種の優先権と特典(助成も含む)を与える。 4 山里ゾーン: 伝統ある豊かな山里の保全 古民家の保全、伝統的な仕様・外観の家作りに対する各種優遇策、過剰な「箱物」に お金をかけるよりも、私たちのアイデンティティである古城・神社・お寺・道祖神・ の保全と景観に配慮した再整備 5 町並みゾーン:文化と伝統を感じさせる町並みづくり
6.追伸: 日本に帰ってみると・・・・・。
私も、以前日本にいるときは、周辺の景観が貧しく雑然としたものとは、感じませ んでした。しかし、帰国の時に、成田空港から電車に乗って、車窓から懐かしいはず の日本の風景をみると、「あれ何だろこの雑然さは!!」と強く感じました。 電柱と電線で、蜘蛛の巣のような街や村、自分勝手な家や建築物の乱立、鉄道の沿 線には古くて汚れた家も目立つ、区画整理がいい加減で迷路のような道路、ばらばら の公共構築物、何でもコンクリートとアスファルトで固めてしまった空き地や河川等。 きっと日本に来る欧米人は私以上に同じこと感じているに違いないな と思いました。 ただし、世界第二の経済大国の日本人に対して、面と向かってそのことは指摘しない で、内心は日本の文化レベルをさげすんでいるのかもしれません。
7.要点まとめ
1)景観に対する真摯な姿勢 @住民 景観保全は、住民の義務であるという認識が徹底している。 地域の景観を見れば、コミュニティーのレベルがわかる。 庭と家をみれば、家人の性格がわかる。 イギリスやスイスでは住民全員がまず、自分の家を地域景観にふさわしいものにし よう、地域景観を更に高めようと努力している。 英国では、家は古いほど価値があり田舎では200−400年の家を大事にメンテナンス しながら住んでいる。 洗濯物は、通行人の目につく場所に干さない。 家と庭は極力自分でメンテナンスし、デコレートする。 庭のお花・家の飾り付・窓際の置物(骨董品等)を通行人に見て楽しんでもらうこと を、心から楽しんでいる。 A行政 ゾーニングがしっかりしており、整然とした開発状況である。景観を破壊するよう な開発や建築をさせない。工場や大店舗は緑化率を高め、専用地域(団地)か 又 は、道路から奥まった場所に立地させる。 電柱はごく過疎地にしか見当たらない。 街路樹には巨木が多く、住宅街や公園でリスや狐がみられる。 2)アイデンティティーとしての景観 心のふるさと、自分たちを育んでくれた地域文化と風景は一体のもの。 欧州では、どの街にも中心に荘厳で立派な教会がある。教会の尖塔は今でも街で一 番高い建物である。 伝統ある景観を破壊することは、自分たちのアイデンテイティーを失うことである。 今、私たちの周りから次々とその風景が失われている。(前述の5.-4 山里ゾーン参照) 3)景観=資産価値の基礎 景観が破壊され雑然とすると、その地域の資産価値は低下する。 従って住民は、自分たちの資産価値を守るためにも、景観保全に努める。 コッツウォルド地方では、点在する多くの街(集落)が観光に値する古い町並みを維 持している。どこも土日には多くの人でにぎわい、お店も繁盛している。そこでは、 古風で簡素な住宅街としての価値と観光地としての価値が両立している。 スイスでは、景観は最重要な(観光)資源として位置づけられ、一貫した景観保全が 行われている。 4)日本の優れている点 日本の山岳地帯の自然は、多分世界一の美しさである。特に広葉樹の森を中心にそ の植生の豊かさや渓谷美、四季の変化等はスイスよりもはるかに優れている。 しかし、多くの日本人がこれに気が付いていない。 又、英国では、熊や猪はすでに絶滅していると聞いたが八ヶ岳や南アルプスでは、 ごく普通に生息している (T.A)